MOVIE 終戦のエンペラー


視聴日:2013/9/8

原題:EMPEROR
監督:ピーター・ウェーバー
脚本: ベラ・ブラシ、デヴィッド・クラス

出演
ボナー・フェラーズ - マシュー・フォックス
ダグラス・マッカーサー - トミー・リー・ジョーンズ
島田あや - 初音映莉子

1945年8月10日、ラジオから日本における現人神である昭和天皇の声で「降伏」の言葉が伝えられ、第二次世界大戦は終結した。
その後8月3日にGHQの総司令官であるダグラス・マッカーサーらが厚木飛行場に降り立つ。彼らの目的は、日本を統治するため、戦争犯罪を裁くことであった。
マッカーサーに命じられ、フェラーズ准将は天皇の身辺調査にあたるが、調査の中でかつての恋人であったあやとの思い出や日本人の生き方に葛藤を抱く
自分自身の事が一番見えていないのは、恐らく自分であるのだろう。
毎日鏡で自分の顔を見ているはずなのに、その内面は混沌としており、その実体はよく目を凝らさないと分からない。
それほど、本質というものは掴みどころのないものなのだ。

この映画では繰り返し「日本人の本質」というものを語られる。
1度見ただけなので非常にうろ覚えなのだが、この映画で語られた「日本人の本質」は2つあり、1つは武士道の精神で、もう1つは神への信奉と忠義であるという。
この本質について、なるほどと思う人もいれば、これは間違っている!と声を荒げる人もいるだろう。
しかし、それはどちらも間違っているし、どちらも正解であるとも言える。
そもそも、この映画で語られた「日本人の本質」が正しいかどうかは誰にも決められるものではないだろうし、そこは論議する点ではない。
この映画で最も重要なのは、「本質を見極めるのは非常に困難である」ということである。

本編で、マッカーサー率いるGHQは日本の統治の為に日本に上陸している。
彼らの任務は統治の為の戦争犯罪を裁く事にあるのだが、次第に彼らは戦争犯罪の有無の立証にのみ執着していく。
調査は難航し、天皇が戦争に関与していない証拠を得ることができないまま、彼らは決断を迫られる。
そして、最終的に彼らがたどり着いた結論は天皇と面会し、彼の本質を見ることにたどり着くのである。

劇中の主人公であるフェラーズも同様に、本質を求めてさまよう姿が描かれている。
フェラーズは天皇の身辺調査を進めながら、かつての恋人のあやを行方を探る。
映画の中では、フェラーズとあやの関係は出会いから別れまで時間を追って描かれているのだが、
彼の思い出を追っていくと、叔父というあやの行方を知る人物がいる事に気付かされる。
だが、彼は最後まで叔父に会うことをしなかった。
きっと彼はどこかで、叔父に問えばあやの安否が分かることに気づいていたのだろう。
しかし、あやの死を認めたくないが為に、彼は敢えてそうしなかったのではないだろうか。
そして、いつの間にか観客も同じ思いを抱かされている。
彼女がしたためた手紙の数々は、フェローズと観客に彼女の死を悟らせる真実である。

人の思いは、時に道筋や目的を曇らせる。
誘惑や雑念に振り回されずに、まっすぐに進む事が如何に難しいか。
その為に人はいつも「本質を見つめる」事が必要になるのである。

「本質を見つめた事があるか」という映画からの問いかけに、私は答える事ができなかった。

 

OBOEGAKI

2013年7月以降に鑑賞した映像作品や舞台の感想を記録している場所です。
Reviewer:Yayoi Oyama

※掲載している画像の権利は制作会社・配給会社に帰属します。