Big Hero 6



「ベイマックス」、見てきました。
予告編ではヒロとベイマックスの友情、そして兄との別れを通して成長するヒロの姿を中心に描かれていましたが、本編では6人の仲間と力を合わせて戦う戦闘シーンも多く、ヒーローものとしても非常に楽しめる作品でした。
とにかく戦闘シーンがかっこいい! さらに仲間たちが使う武器もそれぞれ個性豊かで、見ていて飽きさせません。
巨体で愛らしいロボットを操るヒロを筆頭に、
自転車のタイヤを脚に装備し疾走するクールなゴーゴー、
物質を変異させるエネルギーボールを作り出すギークなハニーレモン、
強力な電磁波を双剣にして戦う臆病なワサビ、
そしてアメコミと怪獣が大好きなあまり、自ら火を吹く怪獣に扮して戦うフリッド。
どのキャラクターたちも魅力的で、ビッグヒーロー6として結成した彼らの活躍がもっと見たくなるような、後味の良い終わり方も良かったです。
さらに、架空都市サンフラントウキョウのビジュアルも美しく、自分がこの目で見たサンフランシスコと東京の都市が見事にミックスされており、新しい世界を作りあげているのも素晴らしい!
思わず抱きしめたくなるベイマックスのキャラクターにも、すっかりハマってしまいました!


さて、この「ベイマックス」ですが、原題では「BIG HERO6」というタイトルで公開されました。
この映画は「BIG HERO6」というアメコミを原作に制作されており、映画のタイトルは原作に倣ったものです。
ところが、日本では「ベイマックス」というタイトルに変更され、さらに予告編ではヒーロー物である事を隠すような編集がされており、日本での公開前は様々な不平がネットで飛び交っていました。私も不満を感じていた1人です。

しかし、今回「ベイマックス」を見て、この邦題は映画の本質を捉えた的確なタイトルなのではないかと感じています。
「ベイマックス」という邦題が適切である根拠として、2つの点を挙げたいと思います。
私は原作のコミックを読んでいません。あくまで映画の本題「BIG HERO6」が邦題で「ベイマックス」に改題された事に対する根拠になります。



1つ:今作の主人公はヒロである

家族ほど、この世で強いきずなを持った関係は他にありません。
ヒロは科学を愛しており、また科学に精通した兄のタダシの事を誇りに思っています。タダシにとってもまた、ヒロは大事な弟でした。
しかし、タダシは謎の火災事故で命を落としてしまい、たったひとりの肉親を失したことで、ヒロはひとりぼっちになってしまうのです。

ここで注目して欲しいのが、ヒロとタダシには両親はおらず、叔母さんのキャスと同居しているという設定です。
ヒロとタダシの両親がいなくなった理由は物語の中では明らかにされません。しかし、何故2人に両親がいないのか、という理由は明らかです。
それは、 ヒロをひとりぼっちにさせる為 なのです。

唯一の肉親であったタダシは、ヒロの最も大切な存在でした。
ヒロにとって兄のタダシは、困った時には助けてくれ、科学という強い力を持っている、頼れるヒーローであったに違いありません。
しかし、事故によってヒロは唯一の肉親を失ってしまいます。
ヒロは叔母さんのキャスと生活をしていますが、2人の間に血の繋がりはありません。はっきり言えば、他人なのです。
実際、この映画の中でヒロとキャスの関係はあっさりと描かれています。家族らしい風景、例えば食卓を囲む場面や就寝する場面はこの映画には登場しません。
これは、ヒロとキャスの関係が希薄だというわけではなく、今作においてこの2人の家族としての関係の描写は必要ないからでしょう。
もし2人の家族としての関係を描くのなら、物語の終盤で救出されるべき女性はキャスであったはずです。

そして、孤独になったヒロの前に、亡くなった兄が開発したロボット、「ベイマックス」が現れます。
ベイマックスは、タダシが人々を守るようプログラミングされた、心と身体を守る愛らしいケアロボットでした。
彼の最も大切な使命は、弟のヒロを守ることです。
その使命のために、ベイマックスにはタダシの弟への愛情がめいいっぱい詰まっていました。
ヒロはベイマックスとの交流を通して、まるで亡くなった兄の寂しさを忘れるかのように町を駆け巡ります。
これは、ベイマックスの存在が兄の代わりとなっていたのは言うまでもないでしょう。
しかしながら、この時のヒロはまだ兄の存在=ベイマックスと決別出来てはいませんでした。
この時点で、兄の死を乗り越えられていないのはヒロただ一人だけです。
主人公という役割のヒロにとって、超えるべき障害が「兄の死」であった事は言うまでもないでしょう。

兄が死んだ原因を作り上げた仮面の男、キャラハン教授の正体が明らかになった事で、ヒロの心に復讐の炎が燃え上がります。
兄が作り上げたロボットで復讐を果たすことは、心も身体も傷だらけにしてしまう、タダシが一番望んでいなかったことです。
ところが、ヒロはタダシがプログラミングしたメモリーカードを抜き取り、ベイマックスを戦闘ロボットに改良してしまいます。
ヒロはベイマックスの使命を書き換えることで、兄の存在を否定してしまうのです。
ヒロにとって、兄の死は耐え難い絶望であったのでしょう。
そんな孤独感から逃げ出すために、現実と向き合うことも出来ず、ヒロは最も恐ろしい手段で自分の気持ちを吐き出そうとします。

しかし、絶望に沈んだヒロを救ったのは、兄の存在でした。
ベイマックスの中に保存された兄のビデオ記録によって、ヒロは兄の遺志とベイマックスの使命に気づきます。
ヒロはひとりぼっちではありませんでした。ヒロのそばには、ベイマックスも、仲間たちも、そして兄もいるのです。
ここでようやく、ヒロは自分は孤独ではないこと理解し、乗り越えるべき試練の一つ克服します。

ついに2人と仲間たちは敵を破りますが、ベイマックスとヒロに別れの時が訪れます。
ヒロは「もう大丈夫だよ、ベイマックス」とベイマックスに言い、それを聞いたベイマックスはロケットパンチでヒロを外界へと送り出します。
この台詞はベイマックスの機能を停止するための合言葉ですが、ヒロ自身はまるでベイマックス自身に言い聞かせるようにしゃべります。
実は、この台詞はタダシが亡くなってから一度も使われていません。
「もう大丈夫だよ、ベイマックス」という合言葉は、ベイマックスだけでなく、彼を開発した兄への別れの言葉でもあるのです。
それを聞いたベイマックスは、まるで安心したかのように安らかな顔でヒロを外界へと送り出します。
ヒロは、ベイマックスに別れを告げる事で、タダシの死を乗り越えることができたのです。


物語において、主人公の成長は不可欠です。本作では、兄の死を乗り越えることで、思春期の少年から大人へと成長するヒロの姿が描かれています。
邦題「ベイマックス」は、ヒロの成長に必要な主題を最も分かりやすく表現したタイトルではないでしょうか。



2:仲間たちとの絆より強い、ヒロトベイマックスの関係

ヒロは、タダシに連れられて同じ研究室のい4人の仲間たちを紹介されます。
全員が自分と同じ科学オタクで、最新の技術を使った研究の数々にヒロは思わず心を踊らせます。
みなとてもユニークで、見ているだけで友達なりたいと思えるような、魅力的な人ばかりです。
さらに科学の権威でもあるキャラハン教授との出会いによって、ヒロは大学入学への思いを募らせていきます。

実は「ベイマックス」に登場するキャラクターは、ヒロ以外の全員が精神的に成熟した大人なのです。
彼らは大学生という時点で、ヒロよりも年上で、さらに大学で研究をしていることから自分の意志を持った自立した人間だということが分かります。
さらに、本作ではヒロの友人関係は一切描かれていません。ヒロと同年代の子供が、メインストーリーに一切登場しないのです。何故でしょうか?
それは、子供であるヒロが大人へと成長する点にスポットが当てられたストーリーだからだと考えられます。

今作では、唯一の子供であるヒロの成長を、大人の社会の中で家族との関係を通して描かれています。
そうなると、他人同士の関係を同じ物語の中で描くことは非常に困難です。
子供の成長は分かりやすく、非常に明快です。身長が大きく伸びるだけでも、成長した感動を味わうことができるでしょう。
しかし大人の悩みは非常に複雑で、説明をするにも時間を要します。
限られた上映時間の中で複数のキャラクターの成長を描くのは、かなり難しいことです。
敢えて仲間たちの掘り下げを行わない構成は、ヒロの成長にスポットが当たり、まとまった物語に仕上がっています。
しかし、裏を返せば一緒に戦う仲間たちの人となりの描写がとても薄いのです。

物語を書く際、他人同士の繋がりを説明するは一番手間がかかり、時間が必要になります。
もし、今作で仲間たちの人となりを丁寧に説明する描写があれば、ひどく中だるみした退屈な物語になったはずです。
「ベイマックス」では、仲間たちの人となりの描写はラボの一室のみに限られています。
唯一フリッドは家族関係の一部が明らかになりましたが、あのオチは今後の外伝作品の制作を匂わせるだけの演出に過ぎません。

しかし、このラボの一室は非常に優秀で、コンパクトながら仲間たち全員の人となりを全て把握することができます。
同時に彼らとタダシの大人な友情関係も見え、子供であるヒロとの対比が映える図になっています。
極力仲間たちの描写を減らし、キャラクターの魅力を伝える構成はお見事でした。

しかしながら、ヒロとタダシの絆を丁寧に描いているだけに、ヒロと仲間たちとの関係が弱く見えてしまうのも事実です。
その為、彼らが物語の結末に「BIG HERO6」というヒーローグループを結成するのも、やや唐突感を感じてしまうのです。

物語の結末に、ヒロや仲間たちがヒーローとなり、世界に飛び立つシーンの後に「ベイマックス」というロゴが表示されます。
本作で、仲間たちとの関係が明確に描かれていたらこの邦題には怒り狂ったと思いますが、このタイトルが写された時、私は違和感を感じませんでした。
もし、結末に「BIG HERO6」と出されたとしても、このタイトルがヒーローたちのグループ名だとすぐには結びつかないでしょう。
終盤の仲間たちとのヒーロー結成の流れも駆け足で、まるで最後に「BIG HERO6」というロゴを出す為の構成のように見えてしまうのです。


原作のある作品を映画化する際、脚本を変えたり、キャラクター名を変えたりと、原作から大幅に改変されることが良くあります。原作そのままの作品ではなく、新しい主題を据えて制作された「BIG HERO6」は意欲的な作品であると言えるでしょう。
「ベイマックス」への改題は、この映画の主題を捉えていると言えるのではないでしょうか。



「ベイマックス」への改題は、日本の宣伝都合上の理由もあるでしょう。
しかし、本作を鑑賞して感じたことは劇中のベイマックスが非常に愛らしく、タイトルを表すにふさわしい魅力的なキャラクターであった事が一番の理由ではないでしょうか。
まるで赤ん坊のような動きや、おもちゃの質感のベイマックスは、観客のこころを掴み、癒してくれました。
邦題「ベイマックス」は、観客が最も心に残る感動、つまり本作の本質を捉えた的確な改題だと感じるのです。


The date which I watched 24.12.2014 in Umeda
Japanese title ベイマックス
Directer Don Hall, Chris Williams

 

OBOEGAKI

2013年7月以降に鑑賞した映像作品や舞台の感想を記録している場所です。
Reviewer:Yayoi Oyama

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